文章について
こんにちは。白詰草です。
一応大学で日本文学や日本語学を学ぶ者の端くれではあるのですが、そこで聞いたことに、言葉は人から教わるものである時点で、果たして自分の言葉というものが本当に存在するのだろうか、というものがありまして。
いやもちろん、レポートの剽窃とか不当な引用を認めるわけなんかではなく。少なくともそれは自分で考えたものではないので不正だと思うのですが。
以前友人と喧嘩したときに、パソコンで打って印刷した文章で気持ちを伝えたことがあったんですけど。
そのときに言われたのが、パソコンの文字で言われてなんか冷たかったと。
忘れられない一言ってたくさんあると思うんですけど、これはそのうちの一つですね。
文芸部として活動していた高校時代から、私はパソコンで文章を打つ作業に慣れていました。
なので自分の気持ちをパソコンにぶつけることになんの抵抗もなかったのですが、そう言われて落ち込みましたね。仕方ないと言ってくれることを期待しますが正直腹がたちました。理不尽だなって個人的には思います。
手書きでないと本心だと思えない? じゃあ私がそのときにパソコンで打った文章も、今こうやってパソコンで打ち込んでいるこの文章も、本心ではないのだろうか。
この時代、小説もレポートも論文も打っているものだと思うのですが、それはいったいなんなのでしょう。
わかってるんですよ、その友人がそんなことを思って私に言ったわけじゃないことなんて。そう感じたことを私に伝えただけ。理屈ではなく感情。
学期末でメッセージを書く機会が多く、考えていました。
手書きなら気持ちが伝わるって本当なのかなぁ、と思うこの頃。
まぁここにも書いた通り、この文章はわりと自己満足で書いているので特に何か思う物はありませんが。
ちょっと愚痴に近くなってしまったので、またどこかで話しなおしたいと思います。
それでは。ありがとうございました。